ぜったいに勤めたくないのだ症候群

人間嫌いのゆるい躁鬱持ちが引きこもりつつなんとか頑張るブログ

それでも死こそがリアルだ

 

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メンヘラ.jpの印象的な投稿

 先週から奮起して翻訳関係の新しい仕事に複数応募したが、なしのつぶてでいっこうに返信がなく、今は自己肯定感が底辺をさまよっている。やはり社会人経験のない自分ではスキルを積んでも何の意味もないのだ。自分は社会から一切必要とされることはない。むしろお荷物として憎まれて殺される前に自殺しなければ……そういう、20代前半から繰り返してきたお決まりの思考が頭の中をかけめぐる。そんな中、「メンヘラのつながりづくり」を目指して作られたメディア、メンヘラ.jpに掲載されたある文章が目に留まった。

 

menhera.jp

「死にたい」を日常とする人々が世の中には存在しています。

わたしにとって、「死にたい」は三大欲求の 延長線上に存在していて、お腹が空いたから何か食べたいだとか、眠いから寝たいだとかと同じように、死にたいから死にたいのです。一番幸せなのは眠っていて夢も見ていない、完全に意識のない時だと感じます。

 エヌさんという女性が綴るこの「死にたいのが日常」という感覚は、僕にとっても深く馴染みのあるものだった。僕も大学生のころから、24時間365日死のことを考えていた。綿密な自殺計画をくり返し立てた。留学中は何度か「明日になってもこんなに苦しいままなら、深夜バスに乗って町はずれの崖のある場所まで行き、そこから身投げすることにしよう」と決意した夜があった。人生でいちばん精神が不安定だった10年前、1度は飛び降りようと思って大学内で一番高い建物の屋上まで行き、「うまくいけばいいけど、失敗したら半身不随だな」と思い至ってやめた。1度は部屋にあったあらゆる薬(向精神薬から風邪薬まで)を料理酒と一緒に飲んで意識を失い、吐しゃ物の中で目を覚ました。

 勉強をしていても、仕事をしていても、映画を見ていても、列車に乗っていても、僕の意識の根底にはつねに死が横たわっている。

死を恐怖した幼少期

 思えば、子供のころから死への意識が常に日常の裏側に潜んでいた。5歳か6歳のころ、僕は突然、人間はいつか死ぬのだということに思い至った。そして子供なりに死についてじっと考えた。それは眠りに似ているが、目を覚ますことは永遠にない。何も見えず、何も聞こえない。それだけではなく「何も見えず、何も聞こえない」と意識する自分自身すら存在しない。幼い僕はそうした想像がもたらす深い虚無感に打ちのめされ、いやだ、死ぬのは怖い、と思って毎日泣いていた。でも、いくら怖くたって死は避けようもなくやってくる。楽しい夏休みがいつか終わるのと同じだ。

 仏教徒だった母は、死の恐怖にとりつかれた僕の様子を見かねてこんな話をしてくれた。人間は必ず生まれ変わるものだ。たとえ身体が死んでも魂は残り、また新しい別の赤ん坊に宿って生まれてくる。前世の記憶はないけれど、それは紛れもなく同じ魂だ。輪廻転生を子供に想像しやすいようにアレンジした母の物語は、束の間僕を安心させてくれた。しかしそれもすぐに信じられなくなってしまった。というのも、小学校の図書館にあった子供向けの科学書に、地球はあと何十億年かしたら膨張した太陽に飲み込まれて跡形もなくなると書かれていたからだ。そればかりか宇宙そのものさえ、最期にはあらゆる物質が静止する「熱的死」を迎えるらしい。そうなってしまえば、僕が生まれ変わってこられる場所なんかどこにもないじゃないか。

死こそがリアルだという意識

 子供のころに感じた死へのこの恐怖の念は、ほとんど畏怖に近いものだった。それは子供の頭で想像できる究極の虚無であるだけではなく、どんなにえらい大人も、金持ちも政治家も、果ては惑星や宇宙でさえ、絶対に逃れることのできない終焉だ。死を意識することは、ある意味ではとんでもなく偉大なものに触れる経験でさえあったと思う。

 この畏怖に似た恐怖の感覚は、年を重ねるにつれてゆるやかな希死念慮へ、上に紹介したテキストでエヌさんが語るところの「心の基盤に重く横たわった不透明な死にたさがすべての幸せの足元を掬っていくような、すべての幸せが宙に浮いたまま、根を生やすことができないような」状態へと変質していった。僕がこうやって生きて活動しているほうが実は例外的な事態なのではないか。死ぬことよりも、生きていることのほうがずっと不条理なのではないか。生きていることは何かの間違いであり、死んだ状態のほうがこの世界の道理にかなっているのではないか。しかも僕は社会不適合者だ。いなくなっても誰も気にしやしない。むしろ存在しているだけで人に迷惑をかけるくらいだ。そんなふうに思うようになった。失敗やへまをするたびに「ああ僕は死んだほうがいいんだな、やっぱり」と、特に悲しくも怖くもなく淡々とそう思ってしまうようになった。

「死にたい」と、わたしたちのように当たり前に思うことのない大多数の人々の中で生きること、つまり死をタブーとする社会の中で生きるということ は、精神的に監獄の中にいるようなものです。「眠い」と同じように「死にたい」などとは言うことのできない空気の中で息をし続けることは、呼吸をしている のに窒息しそうな矛盾感や閉塞感を生み出します。

「死にたい」まま「生きる」こと。これがどれほど苦しいか。生き地獄です。真綿で自分の首を絞め続けるような、たまたま引いた外れくじのひどい罰が無期限有効みたいな。だってそこに、そうなろうとしたわたしの意志はありません。

 エヌさんの書くこの感覚はほんとうによくわかる。「死にたい」が日常である人間は、たとえ何か嬉しい、楽しいことを経験しても、根っこのところで自分の存在を肯定することができない。それにこの感覚は、言葉にしてしまえばいわゆる「甘え」の表現にしかならない。「駄目な僕なんか死んだ方がいい」なんて、他人に開示するにはかなり最悪な言葉だ。だからこそ、この息苦しさはどこにも持って行きようがない。

友人の自死と恋人の影響

 僕の友人には一人だけ自殺した人がいる(この人のことはまた今度、別のエントリで書こうと思う)。その人が死んだことは本当に衝撃的だったし、未だに自分の中でもうまく整理がついていない。僕に何かできることはなかったのかと、自問自答を今でもたまに繰り返す。でも、だからといって僕の希死念慮がましになったのか、「生きたかったはずの友達の分も生きなければ」などと思うようになったのかというと、実はそんなことは全くなかった。自分にとっても意外だったし、罪悪感さえ抱えているくらいだが――それでも、僕にとっての全世界の根幹である僕自身の死と、僕の世界の一部であった友人の死は、同じ「死」と呼ばれるものであっても、やはり全く別の事象に感じられる。

 むしろ僕の希死念慮をゆるめたのは恋人だったかもしれない。毎週末、顔を合わせるたびにうれしそうな表情を見せる恋人。「僕がいなくなったら、この人は深く打ちのめされるだろうな」と思わせるただ一人の存在。この人と付き合い始めてから、希死念慮がある時間は24時間365日から、1日6時間平日のみ、くらいに減ってきたような気がする。

 それでも、僕にとっての死のリアリティ自体はあまり変わっていない。もしこの先いつか恋人と別れてしまったら、また24時間365日死のことを考えるようになるんだろう。

50歳で死のうという決意

 僕は50歳になった時点で仕事も伴侶もいなかったら自殺すると決めている。去年までは40歳に設定していたのだが、好きだったライターの雨宮まみさんが実際に40歳で死んでしまったので、少し引き伸ばした(著書の中であれほど人に生きるよう励ましていた書き手と同じ年で死ぬのは、なんとなく気がひけたのだ)。いずれにせよ、僕は子供を産むつもりがない。育てるべき子供を持たず、今の恋人のような存在もおらず、達成するべきプロジェクトも特にないとなれば、身体が動かなくなり、頭が固くなり、顔かたちも醜くなるのに耐える必然性はどこにもない。わざわざ生を引き延ばして老いる理由など何もない。

 恐らくふつうの人にとっては、生こそが道理で、死は常に不条理に襲い来るものだろう。大きな災害などのニュースに直面すると、ことのほかそれを感じる。しかし「死にたい」が日常の僕にとっては、生は不条理で、死こそが道理だ。これからもしばらくは、確固とした死をつねに視野の片隅にとらえたままで、不条理に生きてゆくだろう。