ぜったいに勤めたくないのだ症候群

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ぱぷりこ『なぜ幸せな恋愛、結婚につながらないのか』-人間関係の困難さと、武器としての内省

人間関係分析みたいな本がわりと好きで、よく読んでいる。最近はぱぷりこさんの『なぜ幸せな恋愛、結婚につながらないのか』を読んだ。男女関係に精通した外資系OLという立場を活かして不幸な恋愛のケーススタディを行い、はてなブログから書籍を出した人だ。

 

なぜ幸せな恋愛・結婚につながらないのか 18の妖怪女子ウォッチ

なぜ幸せな恋愛・結婚につながらないのか 18の妖怪女子ウォッチ

 

実は2年くらい前からこの人のひっそりしたファンだった。この人の言語感覚はすごく独特で、「実在」のことをなぜか常に「実存」と書く*1し、「キラキラ粉飾」「メンタル闇落ち」「お焚き上げ」などキッチュな造語がどんどん出てくる。でも文体はすごくリズミカルで読みやすい。単語選択の独特さと明瞭な文体のバランスが本当に絶妙で、読み始めると止まらなくなる。御本人が「筆圧が強い」と表現されている文章のスタイルは、主張が強いのにすごく魅力的だ。「実在」を「実存」と書いているのも、やっぱりそのほうが強そうだし「筆圧」に釣り合ってる感じがする。ブログでもその文体の魅力は充分堪能できる。ちなみに僕はnoteにも課金した。

papuriko.hatenablog.com

『なぜ幸せな恋愛・結婚につながらないのか』は、不幸な恋愛の泥沼にはまってしまう女性たちの特徴とキャラクターを分類・分析した本だ。傷つくことをおそれて受け身を貫いてしまう「地蔵の女王」(いわゆる奥手の人)、理想のために戦略的に他人を利用して楽しく暮らすけど真の充足は得られない「強欲の女王」(キラキラ系)、理想が高すぎて相手と安定した関係を築けない「迷走の女王」、願望や不安が先走りすぎて状況を客観的に見られない「妄想の女王」(「メンヘラ女子」と呼ばれるタイプはここに当てはまると思う)、不誠実な相手、場合によってはサイコパス傾向さえあるような男に利用されてしまう「餌の女王」の5つの大分類に基づいてさまざまな女性像が検討される。ずっと恋愛相談ばかりしていて人の話を聞かない「恋愛相談マニア女子」、「ときめき」にこだわりすぎてうまく相手との関係を継続できない「ときめき至上主義女子」、モテるし彼氏が途絶えることもないのに、相手を一切思いやらず自己肯定のために利用し続ける「恋心の搾取モテ女子」などなど。世の中にはこんなにいろんな泥沼恋愛模様があるのかと思えて面白い。

でも結局、この本で扱われているタイプの人に共通するのは、主体性が欠けていること、そして自分の欲望の内実を自分で把握できていないこと。この本のメッセージは結局、「女たちよ、幸せになりたいなら主体性を持とう、状況を客観視しよう、内省しよう」ということだ。僕は主体性と内省だけでどうにかここまで生き延びてきたような人間だから、ぱぷりこさんのこのメッセージはけっこう力強く感じられるというか、自分は大きくは間違えていなかったんだと思える。

僕も恋愛運は全然なかった。20歳を越えるまで恋人がいたことは一度もなかったし、その後はいい感じになって1回セックスしたらうやむやになって別れる、ということを立て続けに5人と繰り返した。僕は妖怪女*2だったろうか? 本書に挙げられているどのタイプにもちょっと当てはまるし、ちょっと当てはまらない部分もある。でも一つ言えるのは、僕は人間関係を楽しみとして消費する人の存在を20歳超えるまで知らなかったということだ。僕にとって人間関係は、付き合いが浅い場合はつねに「どうやってお互いにとってすっきりとした気持ちのよいコミュニケーションを成立させるか」「どうやって相手の面白いところを知っていくか」という鍛錬だし、付き合いが深ければ「お互いを尊敬しあう、困ったときにお互いを助け合う、いたわり合う、気づかい合う」というものだ。「楽しい時だけ一緒にいて、てきとうなことを言い合って、てきとうにセックスして、つまんなくなったり面倒になったら切る」という消費的な人間関係は一部のサイコパスだけの慣習だと思っていたのだ。だからものすごく戸惑ったし、傷ついたし、あと相手のこともたぶんすごく戸惑わせたと思う。

この経験は僕の対人恐怖と被害者意識を補強した部分もあったけど、同時に「僕にとって人間関係は消費的な物ではないのだ、消費的な人間関係には耐えられないのだ、だからうまく立ち回る術を学ばなくちゃならない」ということをはっきりと気づかせてくれた。ところで、こういう気づきができたのは自分が内省型の人間で、完全な「妖怪女」になっていなかったからなんだろうと思う。「考えすぎは毒になる」と言う人は多いけれど、実際のところ、内省は人生をなんとかやっていく武器になるはずだ。特に不安が強い内向的な人間にとっては。

*1:「実存」という表現が日本語に登場したのは、多分サルトルの実存主義の紹介が最初だと思う。でも、実存主義の基盤はやっぱり自己の強烈な存在の感覚だから、ぱぷりこさんが他人に対して「実存」の語を使っているのは最初は違和感があった。

*2:今後恋愛関係のエントリも書きたいので一度はっきりさせておくが、自分はヘテロセクシュアルの女性だ。日常生活とこのブログ(とここに紐づいたツイッターアカウント)以外のネット上では「私」を使っている。ここで「僕」を使っているのは、実際と逆のジェンダーの一人称を使うとブログ向けに意識を切り替えやすくなるいうこと、それから「ぼく」はシラブルが2つしかないので文章のリズムを整えやすいというテクニカルな都合による。