ぜったいに勤めたくないのだ症候群

人間嫌いのゆるい躁鬱持ちが引きこもりつつなんとか頑張るブログ

ふつうの人がこわいから、社会の外で暮らしたい

 

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利用しているクレジットカード会社から電話がかかって来た。「すぴんどる様にご案内がありましてお電話させて頂いたのですが」。ご案内ってなんだろう。十中八九保険や金融商品の勧誘だと思うけれど、もしかしたら「あなたのカードに不正利用が疑われる件のご案内」かもしれない。思わず「え、な、何か、問題でも、ありましたか」と、混乱がありありと現れたいかにもコミュ障っぽいせりふを返してしまう。女性オペレーターはとても暖かく柔らかい口調で「問題ではございません。本日はですね、すぴんどる様に当社の医療保険のご案内をさせて頂きたいと思いまして」。

どうしてみんなこんなにわかりにくい言葉を使うのか。嘘でもないけど正確でもない、ふんわりとした言葉で飾られた商品やサービスの「ご案内」。自分にそれが必要なのか不必要なのかもよくわからない僕に、あなたは優しい口調で「今の人生、不安ですよね、よくわかります、ぜひあなたのためを思って」とたたみかけてくる。僕の世界一の理解者のようなあなたの態度と声色は、あなたの会社に教え込まれたテクニック。あなたの頭の中にあるのは、今月の目標数値を達成するために僕をどう使うかということ。

「ふつうの人」が恐ろしくてたまらない。きちんとした企業に勤めて、きちんとしたお給料をもらい、生活の大部分を会社に捧げ、自分が多数派で、正常で、常識ある人間だと思っている、ふつうの人。そのくせ、路上で人にぶつかっても謝りもしない、ふつうの人。他人を、自分にどういう利益をもたらしてくれるか、どれだけ自分の気分を良くしてくれるかというだけの基準で評価する、ふつうの人。優しく、気遣いのある振る舞いと柔和な態度でいながら、実のところ自分が世間でどう評価されるかにしか興味がなく、他人の人生や内面には一切の関心を示さない、ふつうの人。「あいつは怠惰だから罰を受けるべきなんだ」と自分を正当化しながら、いやむしろ、自分こそが正義だと心から信じ込んで、弱く問題を抱えた他人に精神的な暴力を振るうことにためらいさえ覚えない、ふつうの人。美しく、優しく、正しく、残酷な、ふつうの人。

ふつうの人が怖い、ふつうの人が集まる場所から離れて暮らしたい、と強く思うようになって、なんとか独りでもお金をかせいで暮らせる方法を模索している。

大学は出たし、長期の留学の経験もあるんだけれど、「正社員経験」という意味での社会人経験は、ない。躁鬱と、上述したような少し妄想的な対人恐怖があって、実家にこもりがちだ。家賃代わりに、社会人院生の母親と会社員の父親に英語を教えてる。学生の頃からちょっとずつバイトをして、貯金は30万くらい。少額だけど暗号通貨も持ってる。今はクラウドソーシングで翻訳の仕事をしていて、月に15万円前後の収入がある。自分で言うのもなんだけれど、品質レビューの成績もいいし、依頼者からのフィードバックも良くて、指名で繰り返し仕事をくれる人もいる。(でも、クラウドソーシングだから依頼者と個人契約ができない。システムの規約で、翻訳した内容をポートフォリオにすることもできない。なんとか個人で仕事を取れるようになりたいんだけど。)

信頼できるひとは、1年付き合っている恋人と、片手で足りるくらいのふるい友人たち。親は立派な人間で、尊敬しているし感謝しているけれど、母のほうは僕のことを全く理解しないまま「すぴんどるの最良の人生のモデルを私が示してあげる」という態度でいるから、ときどき殺したいと思うことがある。父は年季の入った内気なアニメオタク だから、どちらかというと僕にとっては戦友のように感じられる。

人嫌いを治そうと躍起になったこともあるんだけれど、最近はむしろ、組織に勤めずに、今あるリソースをどう広げて回していけるか、ということを考えるようになった。そのための試行錯誤の記録をつけようと、こうやってブログを始めることにした。あとから自分で読み返すため、考えを整理するため。それから、僕と同じように人や社会への恐怖を感じている人の励みに、少しでもなればいいと思う。